権力者たちが愛した琥珀(アンバー)。300年にわたる流転の果て
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太古の樹液の化石、琥珀。
ジュエリーとして高く評価されるだけでなく、当時を生きた虫や植物を今に残すタイムカプセルとしても知られています。
その美しさで人々を魅了し、宝飾品としての確固たる地位を築いてきた琥珀。数千万年前に始まった、琥珀のロマンをひも解いてゆきましょう。
琥珀の誕生
琥珀とは一般に、数千万年前に生きた木の樹液が大気に触れて固まり、何らかの事情で地中に没し化石となったものを指します。
樹液を生み出した木をはじめ、同時代を生きた動植物は、地表を取り巻く自然環境の変化で絶滅しています。しかし、長い年月を地中で過ごした琥珀は、当時の樹液や小さな生命を内包していました。
琥珀と呼ぶには少し若い、数百万年前に地中にその身を移した、半化石の琥珀もあります。こちらは「コーパル」と呼ばれます。琥珀ほどの強度はないものの、琥珀に準ずる石として市場で取り引きされています。
元となった木、産地、内包物、地中の成分、経年。さまざまな要因が、琥珀やコーパルの多様性を生み出しています。
宝飾品としての琥珀
人類最古のジュエリーともいわれるほど、長い歴史をもつ琥珀。琥珀と人との関わりは、数万年におよぶと考えられています。
琥珀の産地として世界に知られているのは、北欧のバルト海です。地中に没したはずの琥珀が、なぜ海で見つかるのか。その理由は、自然環境の変化にあります。
地中での長い年月を経て高い強度を得た琥珀。一部は地殻変動や洪水による大地の浸食で地表へと姿を現します。琥珀の比重は約1.1。水に浮くほどに軽いため、川を経て海を漂い、やがて沿岸へと漂着します。北欧の地中で形成された琥珀の長い長い旅路の果てが、バルト海だったのです。
バルト海沿岸の古代の人々が見た琥珀は、宝石のような透き通った輝きをもちながら、宝石より容易に手に入り、宝石より軟らかいため加工がしやすく、宝石より軽く持ち運びに適した素材でした。
バルト海に限らず、世界の産地で同様に手に入れやすく加工・運搬が容易だった琥珀。北日本でも縄文期の遺跡から、加工された琥珀が出土しています。
琥珀を愛した権力者たち
西洋では長らく、琥珀は権力者の宝石として取り引きされました。バルト海から琥珀を運ぶために使われた複数の交易路が、amber road(アンバーロード)として今に名を残しています。
ロシアのエルミタージュ美術館には「琥珀の間」と呼ばれる部屋があります。一室の壁面から装飾に至るまですべてが琥珀で覆われた小部屋で、多くの観光客の目を楽しませています。琥珀の間が現代に至るまでには、複数の権力者が関わりました。
まず、始まりはプロイセン皇帝のフリードリッヒ1世(1657-1713)。琥珀を愛した彼は、当時最高峰の職人に、贅を尽くした装飾で部屋中を飾らせようとしました。しかし、完成を見ることなくこの世を去ります。
没後、息子であるフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1688-1740)に引き継がれた琥珀装飾は、時のロシア皇帝・ピョートル1世(1672-1725)に所望され、はるばるロシアへと運ばれます。けれどピョートル1世も、琥珀の間を完成させることなく没しました。
琥珀の間が晴れて完成したのは、ロマノフ王朝の第6代ロシア皇帝・エリザベータ(1709-1762)の時代。ピョートル1世の娘だった彼女が、ロシア王族が冬を過ごす「冬宮」の装飾として完成させました。プロイセンから取り寄せた品にロシアでつくった装飾品を合わせた、豪勢なものだったといいます。
その後、第8代ロシア皇帝・エカチェリーナ2世(1729-1796)の治世だった1770年に、琥珀の間はロシア王族の夏の宮殿「夏宮」に移されます。琥珀の間をことのほか愛したエカチェリーナ2世は、余人を入れることなくその美しさを独占したといいます。
20世紀に入り、帝政ロシアの終焉とソビエト連邦の興りを夏宮で見届けた琥珀の間ですが、第二次世界大戦中の1941年9月、ドイツ軍によってその装飾を略奪されてしまいます。これはヒトラーの新美術館構想によるものでしたが、豪奢な装飾は、戦乱のなかですべて失われてしまいました。
こうして、権力者たちに愛された豪勢な琥珀の間は、その姿を消しました。現在エルミタージュ美術館で人々の目を楽しませているのは、1979年から2003年にかけて、数十億ともいわれる資本を投じて復元されたものです。
およそ300年前の王族が憧れた琥珀の間は、復元された今も圧倒的な美の存在感を放っています。
琥珀の価値
ウイスキーを表現する言葉として多用される「琥珀色」。濃厚な黄~茶の、こっくりとした飴色を連想します。これは、琥珀の元となる樹液の色そのものでしょう。
しかし世界には、いわゆる「琥珀色」でない琥珀も多く存在します。
琥珀の天然色は、250に分類されるといわれます。これらは、樹液を生んだ木・含有物・化石となった地中の成分・環境変化・経年によるもので、乳白色から黒に近い深い茶までさまざまです。
宝飾品として数万・数千年の物語をもつ琥珀。そのなかで、人々は流れ着いた・あるいは掘り出した琥珀をより美しくするための技術を磨きました。
そのひとつが染色。琥珀やコーパルに特殊な圧力をかけ、自然由来の染料を浸透させたものです。この技法は、琥珀の間がロシアにわたって間もなくの、ピョートル大帝の時代に始まったといわれています。
現在における琥珀の間にはもちろんのこと、戦乱によって失われる前のかつての琥珀の間にも、色鮮やかな琥珀が使われていたと考えられています。
おわりに
樹脂の化石・琥珀。数千万年前に存在した木々から流れ出た樹液が固まり、化石化し、地表に現れ、宝飾品となりました。現代はさまざまな加工でより強固に、より美しく、より多彩になったものが、人々の暮らしを彩っています。
石のような重さはなく、石のような冷たさもなく。天然石を愛する人にとって、琥珀は少し物足りなく感じるかもしれません。
しかしその見た目より軽くほんのりと温みを帯びた化石は、私たちが想像もできないほどの歴史とロマンがいっぱいに詰まった小さなタイムカプセルなのです。
アンバーのアイテム一覧
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天然石・パワーストーンブランド Pascle
パスクルは、天然石やパワーストーンの歴史・文化・魅力を届けるブランドです。「一期一会の飾るで彩りを」をコンセプトに、天然石の個性をさまざまな形で伝えるべく、価値ある情報を発信しています。